永訣の朝

今朝、知人の犬の訃報が届いた。
痩せぎすではあるものの、元気に駆け回る姿をつい先日まで見かけたし、知人からも聞いていたのに。

焼き場に着き、遺骸を炉へ入れるとき、泣きそうになるのをくだらないコピペを思い出して堪えた。
炉の扉? シャッター? に「家族になれてよかった。ありがとう。」というような文言が書かれていて、遺骸を入れる前は何とも思わなかったのに、火を入れるため入り口が閉ざされると、自分の飼い犬でもないのにまたも涙がこぼれそうに。
再びコピペを思い出しながら堪えながら、その一方で、あざとさを感じていた。

焼き終わるまでの時間、火葬場の敷地内にある墓地を軽く見て回りながら、三度目が潤んだ。

いつか、自分の犬が死んでしまったら、私はどうするだろう。
樹木葬がいいと思ったことがあったけれど、よく考えてみれば、傍にはいられないし、その土地を離れられない。
散骨も考えた。自然に還って、いつか、降り注いだ雨に飼い犬由来の原子が含まれているかもしれないから。
遺灰から、人工ダイヤモンドを作ることも考えた。……今のところ、これは費用の面で難しい。それに、捨ててしまう部分が出来るのが嫌だ。量もそこそこ必要だし、遺骨は使えない。
遺髪(遺毛?)や遺品からも炭素を取り出して作ることが出来、多少年月を経た遺髪(毛)でも、複数頭(人)の遺髪(毛)でも、ダイヤモンドを作れるらしい。けれど、やはりこれは、費用がネックになる。
いくつか探してみたものの、1カラットのダイヤ一粒あたり20数万円はかかってしまう……。
それを宝飾品として加工するとなるとさらに数万~10万円ほど必要で、安いものでも総額30万円弱ほどはどうしてもかかってしまうようだ。
お世辞にも高給取りとは言えない私には、そう易々と工面できる金額ではない。
こちらは保留にしておこう。

久々に死に触れて、遺骨を食べてしまう遺族の気持ちが何とはなしにわかるような気がした。
食べてしまえば、結局は排泄物となって身体から排出されてしまうのだけれど、それでも一時はそばにいられる。一つになれる。……そんな思いが頭を巡り、骨上げするとき、知人の犬の小さな骨の欠片を食べてみたいなどと血迷った考えが浮かんだ。

ちょっとどうかしてしまったらしい。